全国に残る八百比丘尼の足跡をまとめています

福島県喜多方市に伝わる八百比丘尼の伝承

福島県喜多方市慶徳村の南にある「比丘尼平山(比丘尼平)」には、むかし八百比丘尼という長寿の尼が住み、茶の木を植えたという。また金を埋めたという伝承も残っている。

喜多方市塩川町の金川寺(きんせんじ)に、若狭国小浜より老いた比丘尼がこの地を訪れ、弘安三年(1281年)堂宇を建立したという伝承がある。

金川寺の八百比丘尼伝承を要約する

 文武天皇に仕えた秦勝道(はたのかつどう)は、腹黒い家臣の告げ口により都を追われ、和銅元年(709)に磐梯山麓に流された。やがて村長の娘を娶り一女が生まれ、千代姫と名付けた。

 庚申溝の夜、勝道と仲間たちは白髪の老翁に竜宮城へ招待され、珍しい「九穴の貝」(くけつのかい)が出されたが、勝道は気味が悪く食べずに持ち帰った。千代姫は、父の衣装の袖に隠してあったその貝を食べてしまった。

 驚いた父は、どうか無事でありますようにと庚申の神に祈り続け、千代姫は美しい才女に成長。姫が12歳の時に父は他界し、やがて母も亡くなった。

 姫は、人は必ず死ぬという悲しさを悟り仏の救いを求め、全国遍歴の旅に出た。

時は過ぎ、後嵯峨天皇の時代に疱瘡が流行した。
千代姫は天皇の命でお祈りをして民衆を苦しみから救い、妙連比丘尼の名と紫の衣を賜った。寛元四年(1246)のことだ。

それから30年ほどして比丘尼は磐梯山麓の里に戻り、松峰山金川寺を建て、阿弥陀如来と聖徳太子の御像と自らの姿を彫り残した。

村の衆には、日々私の名を唱えれば長生きし、生まれてくる時も苦もなく安らかに生きられると仰せられた。

福島県喜多方市塩川町三吉には「比丘尼屋敷」という地名が残る

福島県福島市松川町水原には、比丘尼石という地名が残る

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