東京都北区赤羽北1丁目にある堂山の麓に1艘の舟が流れ着いた。
村人たちが近寄ると、中にはこの世のものとも思えないほどの美人が乗っていた。
彼女が噂に聞く不老不死の八百比丘尼だと知り、村では堂山の上に草庵を建て比丘尼を住まわせたという。
また堂の前には、比丘尼が植えた松があったという。
参考資料:北区の部屋だより 第81号

また北区昭和町には「比丘尼東」「比丘尼西」という地名があり、この辺りの集落で八百比丘尼は200 年を過ごしたという。

また、この地区には八百姫塚があったという。場所ははっきりしない。
またこの地には「堂山和讃」があったと伝わっている。
かっては、この堂山のお堂に集って『帰命頂礼(きみようちようらい)袋村、堂山上にたち給う、阿弥陀如来はその昔、此辺千尋(ちひろ)の海の時、若狭の国より舟に乗り、八百比丘尼が来りけり……』と繰返し唱和したという。
北区上中里にも八百比丘尼にまつわる伝承がある。
上中里村に庚申の碑があり、最も古いものは八百比丘尼が建てたと言われている。
平塚山 安楽院 城官寺の北と南に庚申堂があり、その中の一つなのかもしれない。


また低地の貝塚のある一帯を「八百比丘尼の屋敷」と呼んでいた。現在の「中里貝塚」だと思われる。
この辺りの享和12年(西暦1804年)の古地図を見つけたので掲載する。

