岐阜県富加町には、八百比丘尼が背負っていた立岩と、それにまつわる言い伝えが残されている。
以下Googleより引用します。
八百比丘尼は、飛騨馬瀬村から両親の墓石を背負い、空を飛び墓石を建てる場所を探していた。
美濃関市大野まで来ると日が暮れてしまい、一軒の軒下にあった井戸に足をつっこんで落ちてしまった。
なんとか神通力で抜け出し、すぐ前の山を飛び越し、川小牧へ降りようとしたら、ちょうど五月の節句季節で鯉のぼりが沢山立っており、のぼりで目を突いてしまった。
踏んだり蹴ったりで運の悪いことは重なり、大山へ走り込むと、彦右衛門という庄屋の門に蹴躓き、尻餅をついた。
余りにも大きな音だったので村人が集まり、八百比丘尼を立たせようとしたが、墓石がめり込んでしまって抜けない。
仕方がないので、この場所に両親の墓石を建てたということらしい。
その後、八百比丘尼は諸国巡礼の旅に出たとのこと。
それ以後、大野では、井戸を掘らない。川小牧では、のぼりを建てない。大山では門を作らないと言う言い伝えが、近年まで残っていた。
かなり過酷な旅だったようで・・・
こちらのサイトに立岩について詳細な記載があるので、リンクさせていただきました。


