埼玉県さいたま市岩槻区黒谷に、八百比丘尼の伝承が残っている。
若狭から来た漁師が、黒谷の娘を妻とし人魚の肉を食べさせたため、不老不死になったという。
こちらのサイトが非常に詳しいため、リンクさせていただきました。
若狭から再びこの地に戻った八百比丘尼は、百間村(もんまむら・現宮代町)で亡くなったと伝えられている。
また黒谷に50年住んでいたとき、使っていた杖が根付き、田中義一邸の初代の椿になったという。家の屋号は「玉椿」といい、同家には「玉椿」と題した比丘尼の肖像画が残っている。
同家には八百比丘尼が詠んだ一首をしたためた軸(じく)も残されているそうだが、保管場所は不明。
比丘尼自詠(じえい)の歌
たまつばき みやい久しき わかさしの
八千代かはらぬ 花のおもかげ
また長い間貝を食べてその殻を捨てたため、黒谷の貝塚ができたという。下の地図の中央が黒谷貝塚のおおよその場所である。

同じ場所をGoogle Mapでも示す。

