埼玉県南埼玉郡宮代町百間に、八百比丘尼がやってきたという伝承が残っている。
来訪地は八百比丘尼堂だという。
また「百間始まりの大縁起」の前半に八百比丘尼に関する記載が見える。
郷土資料から内容を抜粋させていただいた。
寺村(字東)庚申待をしているところへ見知らぬ男が加わり、その男の宿になると、その男は龍宮の者であるといって、皆を逆井の辺の自分の屋敷へ案内しました。
広大な屋敷に案内された後、料理が運ばれたが、一人が料理の間に行ったところ、12~13歳くらいの娘のようなもの(人魚)を料理していました。
料理が進み、人魚の切り身が出され、一人が紙に包んで家に持ち帰りました。これを知らぬ間に娘が食べてしまいました。
この娘、5、6歳になって逆井の浜の船で子どもたちとかくれんぼをしていて、寝てしまいました。いつの間にか船が出てしまい、どうすることもなくなってしまい、ついに若狭小浜に着き、小浜の町の人の養子となって成長し、八百歳も長生きしました。このため、小浜の町に八百比丘尼として祀りました。
また、諸国を旅したのちに百間に戻り没したという話も残っている。
宮代町天沼(字中)には、八百比丘尼を祀ったお堂があったという。
昔、若狭の国から一人の比丘尼が天沼に来た。魚を食物とし、一年中着物を着ていなかった。顔美しく、髪はいつになっても真っ黒で、八百年生きたから八百比丘尼といった。今も天沼に祀ってある。
このお堂は現在は跡方もない。しかし土地では昔、八百比丘尼がこの地に来たことを今も語り伝えている。(『伝説集成』)

