全国に残る八百比丘尼の足跡をまとめています

千葉県匝瑳(そうさ)市に伝わる八百比丘尼の物語

千葉県匝瑳市東小笹には、八百比丘尼についての言い伝えがある。

八百姫という娘がいて、その父が信仰している龍神から竜宮城に招かれ人魚の肉をいただいたが、それを庚申講で村人と食べてしまったという。

八尾姫は龍神の祟りを恐れ、詫びて尼になった。のちに若狭の国に行き、そこで八百比丘尼になったと言う。

この話では、比丘尼が人魚の肉を食していないと言う点が特徴的である。


また銚子市の猿田神社にあった比丘杉は伐採されたのち、その木の一部に由緒を記され、現在、椿ノ海水神社に奉納されている。

匝瑳市のホームページには「八百比丘と身払きの道祖神」の言い伝えが掲載してあるので、引用させていただく。

昔、東小笹小泉の里に、名主の娘で八百姫(やおひめ)という綺麗な娘がいた。

 名主は、龍神(りゅうじん)を深く信仰していたので、毎日海岸に出てお祈りをしていた。ある日のこと、いつものようにお祈りをしていると龍神が現れ、

 「日頃、お前の信心深いのには実に感心している。今日は龍宮城(りゅうぐじょう)へ招待しよう。私の後について来なさい」

と言った。

 信仰厚い名主は、招かれるままに龍神の後をついて行った。青い瓦、朱塗(しゅぬ)りの柱、美しい彫りもので飾った回廊(かいろう)、今まで見たことのない、宮殿であった。

 珍しい飲み物や食べ物、それにすばらしい音楽、美しい踊り。名主は、龍神から手厚い持て成しを受けた。何もかもが夢を見ているようで、いつの間にか、数日がたってしまった。

 今日は庚申(こうしん)の日、村人の集まる日なので、名主は龍神に別れを告げることにした。

 「そうか、それでは別れにいつまでも若く、死ぬことのない魚をごちそうしよう」

と龍神がいった。

 名主は、飛び上がるほどに喜んだ。

 「いつまでも若く、死ぬことがないなんて、こんな幸せなことはない」

と思った。

八百比丘と身払きの道祖神(やおびくとみはらきのどうそじん)

驚いたことに、その魚は頭が人間で、尾の方が魚であった。つまり、人魚だったのである。料理される時、目から涙を流し、人間の声で泣いていた。

 やがて、食卓にその料理が出された。透通るような白い肉の料理である。名主は、なかなか食べる気にはならなかった。

涙を流して、殺さないでくれと頼んでいた様子が思い浮かんで、どうしても箸(はし)が動かない。しかし、龍神のせっかくの好意なので、土産(みやげ)にもらって帰ることにした。

 名主は、いつもの見慣れた海岸に辿(たど)り着き、土産を小脇(こわき)に家路を急いだ。途中でふと、不思議な魚のことを思い出し、気味が悪くなって、道祖神(どうそじん)の傍の藪(やぶ)の中に捨ててしまった。

 その晩は、ちょうど庚申講(こうしんこう)が開かれていて、大勢の人々が名主の家に集まっていた。

 すると突然、そこへ青ざめた顔をした名主が帰って来た。村人は、幾日も行方が判らなかった者が、突然帰って来たので大変驚いた。

 姫は、父の様子が変なのに気づき、どうしたのかと問いただした。名主は、他の誰にも語らないとの約束で、龍宮城へ行ったことや、食べるといつまでも若く、死ぬことのない魚のことなどを打ち明けた。

 この話を聞いた姫は、

 「死ぬることがなく、いつまでも綺麗なままでいたい・・・・・・・」

と、是非その魚を食べてみたくなり、居ても立ってもいられなくなってしまった。

 姫は、そっと家を抜け出し、道祖神の傍の藪で不思議な魚を食べてしまった。

 この地方の習慣で、庚申講の夜に肉を食べると神々の怒りにふれて、村が死に絶えると伝えられていた。姫が、肉を食べたと知れた時、村人は驚き、恐れおののいた。

 そして、何とか神々の怒りにふれないようにと相談した結果、姫を尼にして、神々に詫(わ)びようと決めた。たとえ名主の娘であっても、村人の決めたことに反(そむ)くことは出来ない。姫は一人寂しく諸国巡礼(しょこくじゅんれい)の旅に出て、自らの罪を詫びたのであった。

 やがて、若狭(わかさ)の国に住みつき、八百比丘尼(やおびくに)となって、世にも珍しく長生きしたそうだ。

 名主が、人魚の肉を捨てた藪を“身払きの道祖神”といい、今も小さな祠(ほこら)が建っている。

“身払きの道祖神”の場所は特定できていない。

匝瑳市の九十九里浜沿いには「龍」と名のつく神社・祠が点在しており、そのうちのどれかという可能性もあるだろう。

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