新潟県佐渡市羽茂大石は、八百比丘尼が生まれ育った場所であるとの伝承が残る。
羽茂大石の田屋家の主人が、神明講で知り合った老人宅(竜宮城か?)に招かれた。
その宴を中座した者が調理場で人魚を見つけた。しかし気味悪がって手をつけなかったため、老人は帰り際に「大変珍しい料理なので、ぜひお持ち帰りください」と手土産にした。
村の人は貰った土産も気味悪がって海に投げ棄ててしまったが、田屋家の主人だけが持ち帰った。
その娘が、戸棚に置いてある土産を食べてしまった。そのため娘は年を取らなくなったという。
娘はあまりの長寿に世の無情を感じ、比丘尼となって諸国を巡ることにした。
その途中、故郷が懐かしくなり一度この地へ戻ってみたものの、あまりに変わり果てていたため若狭に戻り、そこで殿様に200年の寿命を譲り、自身は800歳で往生したという。
また故郷に戻った時に、「粛慎の隈(みしはせのくま)」という村の古い歴史を語ったという。
「粛慎(みしはせ)」とは一般的には古い時代に蝦夷に住んでいた人のことを言うらしい。当時は異国の人・鬼という認識だったのかと思う。

日本書紀によると
御名部の崎という所に粛慎人(みしはせのひと)が船に乗ってきて、春夏漁をしていたという。島の人は、これは人ではなく鬼魅だといい近付かなかった。
その頃、島の東の禹武という村の人が椎の実を焼いて食べようと灰に埋めると、椎の実は、人の姿となり火の上に飛び上がり争い始めたという。
そこで占いをすると、この村の人は魃鬼のためにまどわされると出た。
村人たちはこれは粛慎人のせいだろうと、彼らを瀬川の浦へ追った。
その地で粛慎人は水にあたったのか疫病が流行り、半数は死んでしまったという。
骨は厳岫に積み上げげられるほど高くなり、ある穴に葬られた。
その場所を粛慎隈(みしはせのくま)という。
人の形となった椎の実とは、佐渡島の人々と、他の国の人々を象徴した表現ではないだろうか?
両者の争いが伝承として残っているような、そんな気がしてならない。
また佐渡市羽茂大橋には、八百比丘尼が植えた松があった。
この松が枯れたら自分が死んだと思ってください、と言い残したという。
この松の所在は確認できていない(すでに伐採されているかも)。



