富山県中新川郡には、八百比丘尼に関するいくつかの伝承が残っている。
その昔、四郎兵衛というものが、とある講(寄り合い)に出かけた際、土産物と称して不思議な肉の入った折詰を持たされた。
気味悪く思った四郎兵衛はそれを食べずに持ち帰り、家の棚に隠しておいた。
ところが、何も知らない四郎兵衛の娘がそれを食べたため、何百年も生きることになった。
その肉は、実は不老不死の力を持つ人魚の肉だったのだ。
彼女は年を経ても美しい若さを保ち続け、いつしか「白比丘尼」と呼ばれるようになった。
しかし世の無常を感じ故郷を離れ、諸国をめぐる旅に出ることを決意した。
そして村から旅立つ時、白山神社に一本杉を植えた。
「この杉が枯れる時が、私がこの世を去る時です」と言い残して。。。
若狭へ渡った白比丘尼は、後に「八百比丘尼」として知られ、各地で人々を助け、八百年もの長い時を生きたという。
白比丘尼が植えたとされる杉は、下田の白山神社境内にそびえる「下田の大スギ」として現存している。
伐採の危機にあった時も、村人たちの強い反対により難を逃れたとのこと。
木の生命力と、八百比丘尼の不老不死が重なり合った伝承なのだろうか?

- 所在地: 富山県中新川郡立山町下田76 白山神社境内
- 樹齢: 推定1000年以上
- 規模: 樹高約25メートル、幹周約11.8メートル
- 文化財: 国の天然記念物(1924年指定)
この大杉は、かつてその雄大な姿から富山湾を航行する船の目印にもなったといい、まさに地域のシンボルとして人々から崇められてきました。明治時代に常願寺川の架橋のため供木の話が持ち上がった際も、村人たちの強い反対によって伐採を免れたという逸話も残っています。
中新川郡立山町立山に広がる「美女平」
この美しい高原にある「美女杉」にも、八百比丘尼にまつわる話が残っている。
八百比丘尼(白比丘尼)が諸国行脚の途中でこの地を訪れたとという。
そして若狭の国へと去る際に、記念として一本の杉を植える。その杉が長い年月を経て天高くそびえる大木となり、いつしか人々から「美女杉」と呼ばれるようになったという。
この伝承は、美女杉の並外れた樹齢や生命力を、八百比丘尼の持つ神秘的な力と結びつけたものと思われる。
美女杉には、ほかにも、広く知られている伝承があります。
立山を開山した佐伯有頼(さえきありより)には、美しい許嫁(いいなずけ)がいた。
有頼に一目会いたいと願った許嫁は、当時女人禁制であった立山に登ろうとする。
しかし、有頼は修行中の身であるとして、心を鬼にして彼女を追い返した。
悲しみに暮れた許嫁は、山を下りる途中にあった一本の杉に願いを込めた。
「美しき御山の杉よ、心あらば、わがひそかなる祈り、ききしや」
すると、その願いが天に通じ、二人はめでたく結ばれたという。
このことから、この杉は「美女杉」と呼ばれ、恋の願いを叶える杉として信仰されています。

立山はかつて女人禁制の場所であった。
ある時、若狭小浜の女僧、止宇呂尼(とうろ)がお供とともに、この結界に入ってしまった。
お供のものは必死で尼を引き戻そうとするが、尼は構わずに歩き続けた。
するとそれまで何事もなかったような尼が、突然その場に倒れ込んでしまう。
そして、その体がみるみるうちに杉の木となり、それが美女杉と呼ばれることとなった。
また別の伝承では、杉ではなく石になってしまったという。これを「姥石」という。
一説には、この止宇呂尼は、若狭の八百比丘尼の妹だともいう。

姥石は、直径1.5メートルほどの丸みを帯びた大きな石で、中央に縦の割れ目がある。
石の上には、後年(天明三年・1783年)に置かれたとされる地蔵菩薩像が安置されている。
かつての厳しい女人禁制の掟が偲ばれる話である。
彼女たちが生まれ変わって、幸せな人生を送ることを願ってやまない。
中新川郡立山町栃津の米山の岩屋(洞窟)を仮の住まいとして滞在したとの伝承がある(上市町史)。
残念ながら、伝承にある「米山」および「岩屋」の具体的な場所を特定することはできない。


